虚無庵

徒然なるままに

大江戸 Ruby 会議 09 出前 Edition に参加した

asakusarb.doorkeeper.jp

記憶が鮮明なうちに、気持ちが冷めないうちに

2021年11月2日(火)は、インターネット地域コミュニティ『Asakusa.rb』の通算第634回目の meetup という記念すべきキリ番開催となります。 また、最近の松田明氏による動画アーカイブ発掘調査の結果、過去の RubyKaigi の講演動画を全て発掘することに成功しました。 このたび、この2つの偉業を記念し『大江戸Ruby会議』をオンラインで開催します。

今回はゲストに日本Rubyの会から髙橋会長としまださんをお迎えし、今回発掘された動画の中うち 2006 年 〜 2008 年の RubyKaigi の中から厳選された講演を、オーディオコメンタリー付きで一斉視聴します。 現時点の予定では、Ruby on Railsを作ったあのひとや、「達人」と呼ばれるあのひとにご登壇いただく予定になっています。みんなで十数年前にタイムスリップして、あの感動のスタンディングオベーション追体験しちゃいましょう! あわせて、Asakusa.rb が過去に行った大江戸Ruby会議の中で動画の残っている 01 と 04 からも思い出のセッションを選出し、同じく視聴する予定です。

Ruby 会議初期の動画は残っているものと思っていたが、実は全て残っている訳ではなかったという意外な事実を知った。

One controller, many ins, many outs

youtu.be

DHH の基調講演。まつださん達がガヤでコメントするのかと思っていたが、聞き入っていたのが印象的だった。

英語は全く分からない俺だが、幸運にもコード多めのスライドだったので何を伝えようとしたのかは意図が汲んで取れた。この話が 2006 年だったのかと思うと、「何故あの時に Ruby on Rails に手を出さなかったのか?」と自分を悔やんでいる。

Island Ruby, or How To Survive Invasions, Immigrants, and Cultural Attacks

youtu.be

Dave Thomas の本は原典/和訳ともに持っていないと思っていたが、一番最初に買った Ruby の本が Dave の本だったと昨日知った。知らないうちに Dave の恩恵を受けていたのか…。

DHH と同じく英語はさっぱり分からなかったが、何故かスライドに日本語字幕が付いていたので雰囲気は理解したつもり。超エモかった。

matzを説得する方法

youtu.be

俺は RubyKaigi というものは 2018 年が初参加なので、Ruby Committers vs the World で「Matz vs Ruby Committers without Matz」という構図を見ていたので、特に違和感なく聞けた。このトークを聞いて、前職で経営幹部相手に稼動工数の予算取りプレゼンをするのと同じだなぁ、という印象を得た。

やったらぁっ!!

【2021/11/04 追記】

そう言えば動画のスライドが見にくかったので、かくたにさんがスライドを共有してくれて、それを見ながらワイワイしてたんだった。

Ruby の歴史

youtu.be

高橋さんによる元祖高橋メソッドを使ったトークメーリングリストにひろみちゅ先生がいることに吹いた。

ずっと個人的な疑問なのだが、高橋さんは Rubyist 達からなぜ”高橋会長”と呼ばれているのだろうか?日本 Ruby の会の代表理事だから?

私はいかにRubyでメディア・アート作品をつくり、しかも一円も損をしなかったか

youtu.be

"えとこういちろう"さんという方のトーク。残念ながら俺がこの方を知らないせいか、あまりそそられなかった。特に最後のデモは「俺は一体何を見せられているのだろうか…?そして長い」と思った。

そしてこの辺で HP がなくなったので離脱した。

2006 年から 2008 年頃の俺は何をしていたか?

2006 年 9 月くらいに一回目の転職をした時だった。その頃は勉強会ブームというものが起こり、そこかしこで勉強会が開催されていたと記憶している。

当の俺はというと新しく入社した会社の先輩たちに「お前、プログラマーとして全然仕事ができていないよ」という事をありとあらゆる方法で教えられていた時期だった。その反動か、一社目ではやっていたプライベートな時間でのプログラミングを一切やらなくなった。

さらに少し時をさかのぼって 2004 年頃の俺

世間的には前職に入社した 2013 年に初めて Ruby を触ったことにしているが、実はこの時期に少しだけ Ruby を触ったことがある。

先述の Ruby on Rails でもそうだが、「この時に Ruby コミュニティと出会っていたら俺の人生はどうなっていただろうか?」という事は 2018 年*1からずっと思っている。

時を戻そう

再び時を戻して一回目の転職をした 2006 年頃の話。

先輩たちの言っている事は正しく、プログラマーとしての最短ルートを俺に教えてくれていたと思う。ただ、全然楽しくなかった。本当はクリエイティブで楽しい仕事であるはずのプログラマーが、非常に苦痛になっていた。

それでも一応 2011 年くらいまでは在籍していたと思う。その後、地元福岡に U ターンした。

帰福してから

Fukuoka.rb に初めて参加したのは 2018 年 5 月 9 日の #96 からだった。存在自体は 2016 年頃には認識していたが、参加はしていなかった*2

RubyKaigi 2018 に参加してから Fukuoka.rb のオーガナイザーになって毎週開催するようにしたり、RubyKaigi 2019 のローカルオーガナイザーをやったりと色々やってきた。が、前回のブログで少し触れたが、RubyKaigi Takeout 2020 で登壇してから自分の中で燃え尽きた感があった*3

また、2018 年/2019 年と RubyKaigi 絡みで家族との時間を削ってきたので、RubyKaigi 2020 でプロポーザルが accept された*4後は家族のために時間を使おうと決めていた。

ただ、自分で決めていたものの、ずっと心にモヤモヤしたものがあった。

RubyKaigi Takeout 2021 に参加した

参加ブログを書くつもりはなかったけど流れで触れる。これまた前回のブログで触れているが、

Python がパーサーを PEG に置き換えた

という事実を悲観的に捉えている。”Ruby ではなく Python を選択する口実”が出来てしまったと思ったし、何よりメンテナンスの属人性が高すぎるのが個人的に嫌である。「俺がメンテナーになってやる!」とは思わないが、「誰でもメンテナンスできる状態」にする必要はあると思っている。そして、それをやりそうな人が、少なくとも俺の観測範囲では誰もいないようなので俺で出来るなら挑戦してみようと思った。

大江戸 Ruby 会議 09 出前 Edition に参加した

色々話が脱線したが、大江戸 Ruby 会議 09 はまだコミュニティ歴の浅い俺にとっては、とても興味深く、また、とても考えさせられるものだった。

たらればの話をしても仕方がないので、これからの事を記しておく。

Ruby の歴史は長いので、ruby 本体も積み重ねた年月だけ肥大化している。Ruby のしくみが書かれた頃は 6,500 行程度だった parse.y は今や 13,000 行超に成長している。思春期でやんちゃな子どもは、もはやアラサーの第一線で活躍するようになっている。そろそろ基礎代謝が落ちてきて若い頃のように唐揚げを好きなだけ食べれなくなっているかもしれない。怪我も治りにくくなっている頃かもしれないし、健康診断では胃透視が必要になってくる頃かもしれない。

そんなヤツなんだから、ちゃんとメンテナンスをしてあげよう。経過観察ではなく再検査が必要になる前にちゃんとメンテナンスをしてあげよう。誰もしない*5のならば俺が手を挙げよう。

「歳のいきすぎた老いぼれが出来ないことを無理してやろうとするな」

そんな憎まれ口を叩く前にお前がやれ。お前がやらないなら俺がやる。

さらっとネタバレしたけど

2021 年 10 月 31 日付で株式会社アイキューブドシステムズを退職した。理由は色々あるのだが、今年の 5 月頃から体調を崩しドクターストップ気味に仕事量をセーブしており、今回の退職について主治医から

「退職してすぐ転職は負担が大きいので、しばらくは控えることを勧める」

と言われている。今のところ、来年には復職できるよう絶賛休養執行中転職活動進行中な状況である。

なのでパーサーのことも少しはできるんじゃないかな。

*1:俺は 2018 年に初めて Fukuoka.rb に参加した

*2:福岡には、福岡ならではの事情があったりする

*3:正確には、公式 Microsoft Graph Ruby client library がライブラリのアクティブなサポートをしないと公言した辺りから

*4:accept されたのはコロナ禍前だった

*5:実際にはなかださんがしているのだが